【イラン】テヘランにある旧アメリカ大使館ミュージアムに行ってみた話【アメリカ大使館人質事件】

 

 

イラン訪問にあたって、事前に予習として観たのが、2012年公開の映画「アルゴ」

 

イランで実際に起こったアメリカ大使館人質事件の救出作戦を描くサスペンスドラマ。1979年11月4日、イラン革命が激化するテヘランで過激派がアメリカ大使館を占拠する。52人が人質になるが、混乱の中、6人のアメリカ人が自力で脱出。カナダ大使の自宅に身を潜める。CIAで人質救出を専門とするトニー・メンデスは、6人を安全に国外へ脱出させるため、大胆不敵な作戦を立案。「アルゴ」という架空のSF映画を企画し、6人をその撮影スタッフに偽装して出国させようとする。12年度・第85回アカデミー賞で7部門にノミネートされ、作品賞、脚色賞、編集賞の3部門を受賞した。 -映画.comより

 

もちろん、アメリカ制作の映画だから、この映画だけ観て事件を判断するってことは全くなくて、
とりあえずイランとアメリカの関係性を学ぶためのきっかけになればいいと思って

 

映画に出てくる、と言うよりは映画がここを中心に繰り広げられる、テヘランの「旧アメリカ大使館」

 

 

イランに来た際には絶対に行きたいと思っていた場所。

前までは中には入れず、門の周りだけ見学可能みたいだったけど、最近大使館の居抜きを利用して(中華料理屋みたいだな)13th Aban Cultural Complex (Former U.S. Embassy)と言う名のミュージアムになっていた。

 

 

 

アメリカ大使館人質事件

 

イラン革命前の政策と、アメリカとの関係

第二次大戦後のイランは、パフラヴィー朝の皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーがアメリカや他の欧米諸国の支援を元に親米路線を元にした政治を行なっており、その政策に反対していたルーホッラー・ホメイニーらイスラム法学者をはじめとするイスラム原理主義者をはじめとする急進派を中心にした反体制派を弾圧し、投獄するに至っていた。彼の主導したイランの近代化、西欧化を進めようとする改革は「白色革命」と呼ばれ、農業改革や工業化、労働者の待遇改善、女性参政権、教育の向上などの西欧化を推進した。

この頃のイランの写真がこちら。女性解放を掲げた政策の下では、ヒジャブの着用が禁止されていて、今のイランじゃみられない光景。

 

しかし、同時に文盲率の高かった当時のイランではこの政策の恩恵は一部の市民が得るばかりではなく、アメリカに先導された半ば強引とも言える改革運動は「上からの革命」とも呼ばれ、貧富の差が拡大するとともに、上流中産階級と下層階級との対立を引き起こす。特にリベラルなテクノクラートと厳格で保守的なシーア派宗教指導者との対立を激化させ、これがイラン革命の基盤ともなる。

イラン革命

そして前述した国内の貧富の差が広がったことに対する不安や、1970年代のオイルショックの影響によるイラン経済の不調から、皇帝に反発するイスラム原理主義的な反体制派は下層階級である農民や、労働者から多大な指示を受け、勢力を伸ばしていく。

これに追い風を吹くように、この反対運動にホメイニーをはじめとするイスラム主義者だけでなく、モジャーヘディーネ・ハルグやソ連などが支援したイラン共産党(トゥーデ党)などの左翼なども支援をするように。国内ではこれを受けてデモやストライキが頻繁に起こるようになる。

1979年1月、ホメイニーを指導者とするイスラム教十二イマーム派(シーア派)のイスラム法学者をメインとする反体制勢力が、帝政打倒を掲げ活動、そしてイスラム革命評議会を組織。パフラヴィー皇帝時代の政府から強制的に権力を奪取し、イラン革命に至る。

 

アメリカ大使館への不法侵入

パフラヴィー元皇帝とその家族、側近らは「ガンの治療」を名目にアメリカへ入国。この事実上の亡命をイスラム法学校の学生らが反発し、10月22日よりテヘランにあるアメリカ大使館を囲んだ抗議デモを行った。

新政府はこれを黙認し続け、最終的に11月4日、学生たちはアメリカ大使館の堀の一部を乗り越えて施設に侵入。アメリカ側は事態の悪化を考慮しこの侵入に対して発砲はもちろん、強く制止することはできなかった。瞬く間に大使館は学生に占拠され、アメリカ人外交官や海兵隊員とその家族の計52人を人質に、元皇帝のイラン政府への身柄引き渡しを要求した。

 

 

 

 

 

アクセス方法

 

 

地下鉄のターレガーニー駅を降りてすぐ見える壁がもう旧アメリカ大使館の一部

 

駅出口を出てすぐ見えるのがこの落書き

 

 “Down with USA” – アメリカをやっつけろ!

 

この落書きを左に、壁をそって進んでいくとたどり着きます

 

 

 

旧アメリカ大使館 現ミュージアム
13th Aban Cultural Complex

 

 

 

 

 

 

中に入って右側にある展示室。マネキン以外全部アメリカが実際に使っていた当時のもの。

この透明な部屋の中で交わされる会話は完全に盗聴不可となっており、トップシークレットの交渉をする際に使われた。

 

 

 

ミュージアムは入場料がかかるものの、英語で無料のツアーガイドがある。
人数がある程度集まったら開催するものらしく、ちょうどあみくずが行った時に始まっていたので、せっかくなので参加することに。

 

 

当時の写真や、テープなどの細々した機材の展示。

 

 

一緒に訪れたイラン人の同い年の友達はによると「ガイドは嘘は言ってないけど、言葉を選んで事実を美化している」そう。確かにイラン側の視点になるから仕方ないのかもしれない。

 

イランでは今でも反アメリカの人と、あとは若い学生を中心に現政府を反対し新アメリカ派があるみたい。ミュージアム訪れる前にもっと勉強してくればよかった。

 

 

アメリカ大使館がまだ昨日していた当時は、勤務職員の10%にも満たない数しか入ることを許されていない部屋があったものの、今はこのミュージアムに訪れた観光客がすいすい入れるようになっている。
もちろんマヌケ顔でのこのこやってきた私も入れる。すごい

 

機密文書を保管していたであろうボックス。銃で撃った後が生々しい

ちなみにアメリカ大使館の皆さんは、学生らに大使館の建物を占拠されるまでのわずかな間に、大量の各種機密書類やアメリカ合衆国ドル紙幣をシュレッダーにかけたり焼却処分にしたほか、通信機器やビザのスタンプなどを破壊することに成功した。でもアルゴを観たひとはわかるように、イラン当局は子供や女性を動員して多くの書類を吹く全することに成功し、多くの情報がイラン側に渡ったのだそう。

 

シュレッダーにかけられた大量の書類 – Wikipediaより
これを全部復元するのめっちゃ大変じゃないか???

 

もちろんアルゴはここで撮影されたわけではないんだけど、それでも「ここ映画で出たやつだ!!」ってなれる(ただの映画にわかオタク感が否めないけれども)
第一に、そう言った事件が起こった場所に実際に行くことができるのは貴重な体験だと思うし、イランとアメリカの関係を知るきっかけになるとは思うので、ぜひ訪れて見てね。そしてアルゴを観てから行くともっと楽しい。

 

 

それではー!

 

 

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