サラエボで学ぶこととグッバイ足首
コトル、ドゥブロヴニクときた次に向かったのは、ボスニアヘルツェゴビナの首都、サラエボ。
ドゥブロヴニクからバスでおよそ6時間。午後4時発のバスでサラエボに着いたのは夜の10時
治安が悪ろうが良かろうが、知らない国の街のバスターミナルに夜にほっぽり出されるのは、流石に怖い。
本当はホステルまでタクシーとか取るべきなんだろうけど、ATM手数料を500円近く取られたせいでむしゃくしゃしてトラムと徒歩で向かう(多分よくない)
ドゥブロヴニクと比べて、まるで秋の始まりみたいな肌寒さと、写真は撮らなかったんだけど、予約した宿に向かう途中には集団墓地が無数にあって、ああ、サラエボに来たんだなって実感した
今回旅のルートにサラエボを入れたのは、ボスニアヘルツェゴビナを含めた国でセルビア人によるボスニア人の民族大量虐殺について、実際に現地に行ってどんなものだったのか知るためにサラエボをルートに入れた
(モスタルも入れるはずだったんだけど、時間がなかった)
旅に行く前も、サラエボに寄るって決めてたから、学校の課題のテーマもわざわざ先生に頼んで、バルカン戦争中のセルビア人による民族浄化についてレポートを書かせてもらったりしてた
今回泊まったところは、旧市街の上の方にあるタワーホステルってところ
朝起きたらドミトリー同室のイギリス人の子が「コーヒーいる?」って淹れてくれたコーヒーがトルココーヒーで
「なにそれ作り方見ていい?!!(^q^)」
とコーヒー紅茶日本茶中国茶ホットドリンクなんでもバッチコイマニアのあみくずは初めて見るトルココーヒーの淹れ方に興奮しました
こういうミルクパンみたいなのに(これは一人分) 粉状のコーヒーと水、お好みで砂糖を入れて火にかけるだけ。沸騰して吹き出す前に加熱をやめて、カップに注いて少し待つ
これはあみくずが後日作ったコーヒー。IH以外ならなんでもいける
コーヒーの粉は飲めないので、下の方に沈殿させた泥状のコーヒーは飲まないよ
ドロップ式コーヒーより手軽なのにインスタントコーヒーよりはるかに美味しいこの素晴らしさ
ベトナムの鉄製コーヒードロッパー使ってたんだけど、今回サラエボでマイトルココーヒーポット買っちゃったから浮気しそう
ちなみに10km。名前まで彫ってもらっちゃった❤️
なんやかんやで宿を出発し、町を練り歩く前に、マイバッグパックを預けるためにバスターミナルへ
夜にトラムには乗ったからどう向かうかはもう熟知していると思っていたものの、優雅に一駅間違えて早く降りたためバッグパックを背負ってバスターミナルまで歩いていたその時
グリッ
アッ(^q^)
右足首が地面への着地傾斜を大幅にずらし、全体重と一ヶ月分のバッグパック内の必要物資の総重量が靭帯にかかったことを考えると、「グリッ」っていう効果音以外ふさわしいものはないと思う
崩れ落ちるあみくず
両端にお花畑がある幅の広い歩道の真ん中で痛さに悶絶しながら、座り込む
「アアアア…(^q^)」しか言えないしこんな顔しかできない
よくよそ見して歩くせいでぶつかったり足をぶつけたり転んだりはするんだけど、バッグパック背負ってる時に足くじいた時のダメージは通常の3倍くらいあるって事を忘れかけていた
あしをくじいたあみくずなんて、まさに翼の折れたエンジェル、サンタのいないクリスマス、夏休みのない八月、飛べない豚…
初っ端からこれ…
萎え…
醤油取った罪だわ…
右足を庇いながら歩き、いざ市内観光スタート
今回訪れたのは、Gallery 11/07/95
市内似合って、入り口が小さいから見落としてしまいがちだから気をつけよう
入場料12Km と、オーディオガイド3kmで日本円で千円丁度くらい。オーディオガイドは日本語がないのだけれど、エキシビションを見る上で必須
中に入ると無数の民族浄化運動により殺された男性または少年と女性の名前の羅列と、奥に進むと顔写真が並んでいる
中は基本写真展みたいになっていて、一つ一つの写真のストーリーをオーディオガイドで聞く
オーディオガイドから流れる音声が述べるストーリーは全てまぎれもない事実で
途中辛すぎて泣きそうになってしまった
印象に残ってるのが、(これは正確な引用ではないのだけど)
「ボスニアの女性は2度死ぬんだ。最初は戦争で 旦那や息子を失った時。2度目は希望を持ち続けていつか戻ってくる、と信じていた時に後に届けられる彼らの遺品や遺体のかけらを見たとき」
「(サラエボの住民)私たちは死の中に住んでいる。隣でもなく、死そのものに住んでいるんだ」
戦争下のサラエボはセルビア人に包囲されていたので、水や食料を取りに行くだけでも狙撃される危険性があったんだって。飢え死ぬか、狙撃されて死ぬか、買い物に行くのにも命がけ
動くものはセルビア人によって全て狙撃されるという有名なスナイパー通りは、今は綺麗になっていて
でも少し街中の路地裏に入ると、みえる戦争のあと
ギャラリーには気がついたら3時間以上いて、外を出た時はもう日がオレンジになっていたんだけど
戦争のストーリーを聞いた後の街は違って見えて、アイスを食べる家族連れや、カフェでおしゃべりしているカップルの姿との対比に、鳥肌がたった
この展示は絶対に見て欲しい
これのいいところは、目を背けたくなるようなグロテスクな写真をたくさん展示するようなものじゃなくて、数多くの戦争の被害者のストーリーひとつひとつにスポットライトを当てているところ。ありきたりな日常が破壊されていく、いつ自分にも起こってもおかしくないような、それでいてあまりの惨さに信じられないようなストーリー。
“It happened. Therefore it can be happened again.” By Primo Levi
壁に書いてあった、ホロコーストを生き残ったユダヤ人Primo Levi の言葉
観光地のドゥブロヴニクより、戦争の醜悪な面を隠さずにさらけ出しているサラエボの方が個人的に好きだわ
物価も安いし
追記
足首青くなって腫れてきた…つらい