【ポーランド】訪れなければいけない場所、アウシュビッツ強制収容所【ガイドツアー前日予約】

ジェンドブリ!あみくずです。

 

前回のクラクフ編から引き続きポーランドの旅を記していきます。

ポーランドへ訪れた一番の目的は「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」を訪れるためでしたが、
正直この場所についてはあまり書ける気がしないです。今までいろんな場所をまわってきさえしたものの、アウシュビッツに関しては桁違いで、カメラで写真を取ることができなかったり、ツアーの途中に泣きそうになるのをなんども堪えなければいけないほどでした。

しかしアウシュビッツへは行ってよかった、というより、ヨーロッパへ留学している人には特に
訪れなければいけない場所
だと思います。

 

負の世界遺産アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ

 

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所とは、ナチス・ドイツ第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策 (ホロコースト) および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。収容された90%がユダヤ人アシュケナジム)であった。

ウィキペディアより引用

 

個人予約?公式ツアー?アウシュビッツ観光手段

 

アウシュビッツへ行くにあたり、

 

  • 個人で周る
  • 公式ツアーに参加する
  • 非公式ツアー(現地ツアー会社などが主催)

 

の三通りの行き方がありますが、今回アウシュビッツヘ訪れるにあたって、三番目の非公式ツアーに参加してきました。理由としては、アウシュビッツを解説付きでちゃんと周りたかった癖に公式ツアーの予約をしていなかったので、非公式の現地旅行会社ツアーに前日飛び入り予約で参加したからです。

非公式ツアーが一番割高ではあるものの、(クラクフから往復送迎付きで5000円くらい。高いけど学生割引が使えるよ)ガイドなしでアウシュビッツを観光するのはお勧めしません。

実際にガイド付きでアウシュビッツのツアーに参加しましたが、もし私が個人で訪れていたら、事前の知識なしでは効率よく周るのが難しい&展示品や建物が何のために使われていたのか等の詳しい情報を知らないが為にアウシュビッツを深く理解できずに観光を終えてしまっていただろうと思います。

 

アウシュビッツ自体は入場料が無料

 

ホロコーストという虐殺の歴史を多くの人に知ってもらうために、アウシュビッツ強制収容所の入場料は無料で観光できます。現地までのバス代でアウシュビッツへ行くことは可能です。

個人でアウシュビッツを訪れる方は、アウシュビッツ観光公式サイトより、Visit for individualsの項を押して、希望日と時間を予約しましょう。

予約をしていなくても、当日早朝から予約なしでの入場も可能です。ただしハイシーズンの場合は入れる保証はありません。

 

アウシュビッツの公式ツアー予約

 

ドイツ語・ポーランド語・英語で、公式スタディツアーが公式サイトから予約できます。

このどれかの言語ができる方は、早めに公式ツアーの予約をお勧めします。
(現地ツアー会社の非公式ツアーは日本語多分ないかつ割高です)

 

また、日本人のアウシュビッツ公式ガイドの中谷さんという方もいらっしゃるらしいので、
日本から訪れる際には、事前に連絡をとるのもいいかもしれません。

 

英語が(またはその言語が)できる方は

公式ツアー → 非公式ツアー → 個人で観光

の順にお勧めです。

アウシュビッツについて事前情報がある&とりあえず行きたいので最安方法がいいという方は、個人で行った方が一番安く済みます。お勧めしないけど

 

 

 

アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)

 

 

アウシュヴィッツ強制収容所の名前で有名ですが、実は敷地内の大まかな三つの建物の総称であり、厳密には

アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)

アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ

アウシュヴィッツ第三強制収容所モノヴィッツ

の三つに分かれています。

 

当時のドイツの占領地であった、南ポーランドのオシフィエンチム市が強制収容所の建設に選ばれた要因として、ヨーロッパの中心に位置する」「鉄道の接続が良い」「工業に欠かせない炭鉱や石灰の産地が隣接する」「もともと軍馬の調教場であり、広い土地の確保が容易」(Wikipedia より)等が挙げられるが、ユダヤ人を殲滅させるために作られたので、いかに周辺住民に気がつかれづらく、収容者を大量に輸送し効率的に殺害できるかに特化しており、地理的特徴からみても、ホロコーストのために建てられたことは一目瞭然です。

from wikipedia

 

 

観光客が訪れるのは主にアウシュヴィッツ第一強制収容所とビルケナウで、アウシュヴィッツのイメージで有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の一文が記されたゲートはアウシュヴィッツ第一強制収容所にあります。

 

 

早朝開始のツアーだったのと、訪れた日がクリスマスの数日前だったこともあり、私たちのグループ以外に数組と、ツアーガイドの人も「こんなに混んでないアウシュヴィッツは珍しい。」といっていたくらい。

 

ARBEIT MACHT FREIのBの文字が逆さまになっているのは、この門を作らされた者のせめてもの反抗の印との説があるそうですが、実際には当時流行っていた書体でこうなっただけらしい。豆知識

 

 

アウシュヴィッツ第一強制収容所内の展示品の数々

 

ビルケナウに比べて、アウシュビッツ第一強制収容所はミュージアム的要素が強いので、数々の展示品を見ることができます。

 

 

その中でも有名なのが、収容されたユダヤ人たちの所有物

 

アウシュヴィッツへ連れてこられたユダヤ人たちは「住む場所を決めるまでの間に滞在する一時的な場所」として教えられていたので、少ない荷物制限の中、個人の大事な貴重品と生活必需品を持ってやってきました。着いてすぐ荷物を取り上げられてガス室へ行かされるか、強制労働で数ヶ月後に死亡するかなんて考えていなかったでしょう

 

ユダヤ人たちのコップやポット。

 

 

殺されたユダヤ人たちの眼鏡や、義足、女性の髪ブラシも展示されています。

その多くは、ナチスが回収して、ドイツ国内で安く配給していたそうです。

 

ある部屋では、莫大な数の収容者たちの靴が展示されていました。

 

数々の遺留品とともに、ナチスによって剃られ集められた収容者たちの人毛も展示されています。
被害者の遺体の一部なので撮影は禁止されているので写真はないですが、その人毛が展示されている部屋に入った瞬間、おぞましさに鳥肌がたったのを覚えています。

ナチスドイツは収容者の髪の毛でさえも、工場へ売り、布として加工して国家利益にしていました。

 

 

ナチスによるユダヤ人の選別

 

ドイツ統治下の各地より貨車などで運ばれてきた被収容者は、オシフェンチム(ドイツ語名、アウシュビッツ)の貨車駅で降ろされ、「収容理由」「思想」「職能」「人種」「宗教」「性別」「健康状態」などの情報をもとに「労働者」「人体実験の検体」、そして「価値なし」などに分けられた。価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分となる。その多くが「女性、子供、老人」であったとされる。Wikipediaより

 

この写真は連れてこられたユダヤ人の旅行鞄を集めたもの。あとで荷物を返してもらえると安心させるために、所有者の名前と生まれた年を記入させていたのだそう。(実際に返されることはなかった)

真ん中の鞄を見て見ると、 NEUMANN 1939 の文字があります。この所有者の女の子が収容所に送られた年を推測すると当時5−6歳だったと思われますが、120cm以下の者は全て子供とみなされてガス室へ連れて行かれたように、この子もアウシュビッツ へ着いてすぐ殺されたとわかります。

 

 

 

アウシュビッツ で行われた人体実験

 

 

アウシュビッツ第一強制収容所の建物の一つには、収容者を記録するために撮られた顔写真が展示されています。ユダヤ人収容者がそのあと莫大な数になったため、写真で収容者を記録していたのは短期間ではありますが、収容された人がどのような人だったか見ることが出来ます。

写真の下には収容所へ連れてこられた年と死亡した年が記載されており、特におばあちゃんと呼べるような歳の女性の写真をみて、1ヶ月も生き延びていなかった事実を見ると、写真一つ一つを直視出来ず、涙をこらえるのが精一杯でした。

 

その写真の中でも印象的だったのが双子の女の子です。選別の段階で「労働者」「価値なし(ガス室行き)」と「人体実験の検体」と分けられると前述しましたが、アウシュビッツ でユダヤ人に対する人体実験のリーダー、ヨーゼフ・メンゲレ は双子を好んで検体として選び出しており、ほぼ拷問といってもいい実験の末に解剖して殺害していました。(リンク先で詳細)

 

 

銃殺刑が執行された死の壁

 

11号棟には、逃亡者やレジスタンス活動を企てた者に対する銃殺刑が執行された死の壁がありました。

ここへ送られた者は大抵銃殺刑にされるか、後ろ手を縛られて吊るされる拷問に処されました。

処刑を免れた者も、拷問を受けた後に労働に戻れるはずもなく、結局「価値なし」としてガス室へ送られて行きました。

 

 

 

 

 

アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ

 

展示としての要素が強いアウシュビッツ第一強制収容所と比較して、ビルケナウには広大な敷地に施設が点在しており、解説なしだと何が何だかわかりにくいです。

 

個人で周る際には、ビルケナウと第一収容所を結ぶ無料シャトルバスがあるらしいので、それを利用します。

まず足を踏み入れると、広大な土地に広がる線路を目の当たりにすることが出来ます。

 

ユダヤ人は最初ここで列車から降り、ナチスの選別によって、ガス室へいくか、労働力として働かされるか振り分けられました。

“Selection” of Hungarian Jews on the ramp at the death camp Auschwitz-II (Birkenau) in Poland during German occupation, May/June 1944. ウィキペディアより

写真の右側の制服をきた男性がナチス。ユダヤ人を一列に並ばせて、まるで家畜を選別するかのように振り分けていました。

 

 

 

アウシュビッツ へ連れてこられたユダヤ人は、このような貨物列車に押し込まれて「輸送」されてきました。

 

もちろん「乗客」として扱われることはなく、いかに多くのユダヤ人を輸送するかが目的であったので、トイレもない貨物車両に押し込まれてヨーロッパ各地からアウシュビッツまで運ばれました。

遠いところはギリシャから運ばれてきたユダヤ人もおり、その距離を考えると、アウシュビッツまでたどり着くまでどんなに過酷な旅路であったのか想像ができるかもしれません。

 

 

ガス室のあった複合施設(クレマトリウム)の破壊跡

 

ユダヤ人を大量に送り込んで殺害したガス室、いわゆるクレマトリウムは収容者の反乱や、証拠隠滅のために破壊されて今では原型をとどめていません。

施設は(1)入り口 (2)脱衣室 (3)ガス室 (4)ガスを投入するための穴 (5)遺体運搬のためのエレベータ (6)5つの搬入口から成る焼却炉から構成されており、有名な話ですが、アウシュビッツへ着いたばかりのユダヤ人に「シャワーを浴びせる」と嘘を信じ込ませてガス室へ送り込んでいました。

とはいっても、ビルケナウの停車駅に着いた時点で、クレマトリウムが人間を焼く異常な匂いが立ち込んでいたとも言われており、ユダヤ人はその嘘を信じ込むしかなかったに違いありません。

 

 

死ぬより辛い労働「ゾンダーコマンド」

 

ゾンダーコマンドとはガス室などで殺されたユダヤ人の死体処理に従事する、ユダヤ人労働者の事で、主にクレマトリウムでガスによって殺されたユダヤ人の焼却作業をしていました。

外部への情報漏えいを防ぐため、ゾンダーコマンドの囚人はほとんどが3か月から長くて1年以内にガス室に送られて殺され、新しく連れてこられたユダヤ人が代わりとなっていった

新人ゾンダーコマンドの初仕事は、彼らの前にこの仕事を行っていた囚人たちの死体処理である。 (Wikipedia)

とある通り、アウシュヴィッツでの数ある辛い仕事の中でも、むしろただ死ぬよりも辛い仕事に彼らは死の恐怖から従事しなければいけませんでした。

 

ゾンダーコマンドの数名がカメラや筆記用具を手に入れ、その様子を記録することに成功しています。

そのほとんどの記録や写真(殺される危険の中隠し撮られた)は第一収容所で展示されており、見ることが出来ます。

Sonderkommando in Auschwitz-Birkenau, August 1944 from wikipedia

 

 

 

ビルケナウの女性収容所

 

第一収容所と比べて作りが粗末なビルケナウには、主に女性が収容されていました。

 

これはその女性らが収容されていたとされる建物の一つで、劣悪な衛生環境はもちろん、冬にはマイナス20度にもなる寒さの中、配給されるパジャマのみで過ごさなければいけませんでした。

写真の下の方を見れば分かる通り、最下はただの地面になっているので雨が降った時には泥がぬかるんで、虫や感染症の温床になりました。

 

収容人数が多い時には、建物の中にさえも入れてもらえず、外に出されていたこともあったそうです。

日々の劣悪な労働の中、こんな環境で次の日の朝を迎えられた人がどれくらい居たのでしょうか。

 

 

 

 

アウシュヴィッツを訪れて

 

今回、ツアーで学んだことをまとめる備忘録的な意味としてもこの記事を書きました。

ツアーの時間自体、5時間以上にもおよび、アウシュビッツ周る中でも、人類の惨たらしい歴史を目の当たりにし、目を背けたくなる場面も多々ありましたが、今まで訪れた場所の中で一番といっていいくらい、訪れる価値がある場所だと思います。

教科書で多少は知っていたものの、実際の場所に来てみると、その場所の持つ負のパワーがすごく、また来た時が冬ともあって、実際に収容されたユダヤ人がどんな寒さの中労働を強いられていたのか自ら体感できました。ここに来て本当に良かったです。

 

あわせて読みたい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。